なつかしの八木小

120年以上の歴史を誇る八木小学校。今の校舎も決して新しくはないのですが、もっともっと古くて懐かしい時代がありました。
※写真は、「思いでの佐東町」「思いでの佐東町2」(佐東地区まちづくり協議会編集・発行)より、引用させていただきました。ご協力ありがとうございました。

なつかしの校舎
明治41年の木造校舎の新築風景(1905) 昭和17年の国民学校時代の校舎の絵
(1932)
昭和23年の運動会の様子。進駐軍のため
か、英語の看板が見える。(1948)
昭和27年の木造新校舎落成記念
(1952)
昭和43年の八木小。今と比べると、周囲の
風景ものどかです。(1968)
昭和47年の八木小。校庭の拡張がさ
れていることがわかります。(1972)
昭和49年の創立百周年を祝う人文字。ま
だ学級園や遊園山がありません。道路も、
学校のすぐそばを通っています。(1974)
昭和55年の人文字。校庭にプレハブが
建ち、児童数が急増していたことがわか
る。遊園山などもでき、施設は現在のも
のとほとんど同じになっている。(1980)
喜劇王チャップリンの秘書を務めていた
高野寅市さんが古里に寄付した警鐘台
平成3年の台風で倒れ、今は基礎が残
るのみになっている。(1991)
八木町の人々が可部に行く近道となっ
ていた一本橋。(1965)
一本橋の改修工事。現在はもうない。
(1983)
校章の白梅に名を残す八木の梅林。遠
足や花見の名所でした。(1958)
別所団地が造成される前の姿。佐東
バイパスができたばかりで、2車線が
工事中である。(1969)
昭和初期の八木小周辺。広浜鉄道(今
の可部線)が走っている。
今で言えば、バス遠足!?になるだろ
うか。川船に乗って潮干狩りにいったこ
ろの写真。(1953)※これは帰り。
古川や太田川の改修工事以前はたびた
び襲った水害。この写真は、川内から太
田川方面をのぞいている。(1950)
洪水がおこりそうだと、教室の机が流され
ないように綱でしばっておいたという話も
100周年の記念誌に掲載されています。
かつて、太田川が城山を回って流れて
いた頃、川船の船頭さんをキツネが惑
わし、この岩にぶつかるようにしむけた
との伝承があるキツネ岩。太田川が流
れを変えたため、水田の中に残されて
しまっていた。現在は、八木小に移され
ている。
なつかしの風景